ヒュウマの父風の日本刀

 今日は卒業式でした。大阪芸大で3年間大学生を相手にした後、公立の荒れた中学と高校で4年間なんとか耐えていると、今の私立に誘ってもらえました。
 大学を卒業した時は、中学校で先生業することは想像してなかったですが、自分の本当につくりたいものを実現していくことを考えると、デザインをする会社や広告代理店等に行くことは避けて、割り切って出来る仕事に就くしか無いと解ってました。色々考えたところ、時間給で働くと制作時間が減るし、美術に関係の無い仕事で正社員になるといくら割り切っても時間が減るので、先生業が出来ればそれでいくしか無くて、もし向いてなければタクシーの運転手しか無いなと思ってました。
 27歳で大阪芸大が終わった次の月、西成区の思い切り荒れた中学と定時制高校に行くことを引き受けた時から、向いてるかの判断をする日々が始まりました。4つの学校に同時に行きながら、今の負のオーラを放つ作業場で制作をして、展覧会を2回してみました。そのきつい1年で、自分は教員免許を使っていい人間やと判断出来ました。
 あれから今月で10年になります。その頃から考えると随分対応がソフトになったと思います。当時は、鬼軍曹みたいで物に例えたら「日本刀」とか、動物では「 虎 」か「ライオン」みたいと中学生に言われていました。星ヒュウマの父みたいに、寝たりすると机ごとひっくり返すこともよくありました。
 残念ながら中学や高校の美術では、ちゃんと座ってれるかという次元で、違うエネルギーが要ります。内容についていい状態に持っていくのは厳しくて、大学生をずっと相手にしてる人達と自分を比べてみると、ストレスも多いと思います。つくづくやりたいことを続けるのは大変やと思います。
 大学の先生は、作品制作出来る状況に安心しきってしまわない為に、中学や高校で美術を担当してみたらいいのになと思います。そんな制度あったらいいのにな〜