肯定
今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」は、タイムリーでした。
選挙に出てるような身近な人じゃない人だけじゃなくて 「事実を認めない人」は、若くても同年代でも年上の人でも結構居ます。
やりもしないことを「やります!!」って、目をギラギラさせながら言ってしまったり、結局できなかった自分とか大きな声では言えないこととかずるいことをした自分を認められずに、周りとか相手のせいにしてなんとか体裁を良くしたり不都合なことを無かったことにする技術は、相手を裏切ったり自分を肯定するにはほど遠かったりしてロクなことがその後ないです。自分を肯定して過ごせばいいのにな。
以下は、今日のほぼ日からです。
・選挙みたいなことが近づくと、
大きなことを、大きな声で強く言う人が次々に現われる。
他人は嘘つきで、いくじなしであると平気で言う。
一方、じぶんは立派で堂々としていると笑顔で言う。
そのまるごとぜんぶが、うそばっかしだと、
ふつうに生きてきた大人なら、とっくに気づいています。
立派そうなこと、正しそうなことを考える技術は、
頭のいい人ならたいていは考えつくものです。
そして、それを胸を張って強く言うことも、
経験や練習で上手になっていくものだと思います。
だけど、そういうのじゃないところにこそ、
大事なことがあるって、
ほんとはみんな知ってると思うんですよね。
なんか、それらしい四文字熟語を軸にして、
人が動くみたいなことって、まだまだ続くのかなぁ。
ぼくは先に年をとった人間として、リークしますよ。
わたしもあなたも、もちろん含めてのことですが、
たいていの人間は、たいしたことないですから‥‥。
そこから出発しないと、ねー。』