2.21

 4年前と同じような天気で、気温はちょっと高めでした。

 当日の朝、私が用意をしてると、父も用意をしていて、最後の1年程は動作がかなり遅かったので、特にその日死ぬ程具合が悪いとは思いませんでした。最後の日まで自分でトイレに行ったりモノを食べたりしてたのに死んでしまうとは、本人も思ってなかったと思います。
 日頃の行いとか、夜にツメを切るとか関係なく、入院してて、もうアカンかも…ってなって亡くならないかぎり、親の死に目にあうのは難しいと思います。私は行いも良くないし、主に夜にツメを切りますがそのせいで死に目にあえなかったんじゃないと思います。
 意外と当日は泣く事も無くて、母の事が心配でした。式の仕方や霊柩車の色と形状とか、通夜振る舞いの寿司のグレードについてとかを決めたりして、何で急に亡くなったのか信じれずに作業をする感じでした。
 4年前の今日1番思い出した事は、母が55歳位の時に出先で突然倒れて入院する事になって、父と2人でタクシーで病院に行った日の事です。その事を私が電話で聞いて、父に伝えづらかった事を思い出します。「いずれ死ぬ事」を、父と2人で初めて思った日でした。
 念願のチャーハンを食べました。半球状で、今日は仏さんのゴハンってペンペンして半球にするよな、と思い出しました。家では父に、みんなのゴハンのミニチュアをあげます。小さいカレーや小さいオムライスとかです。小さいチャーハンも、今度あげます。