これからのこと

 中高生の授業が今日で終わったと思ってたら、明日大学の授業がある事を思い出しました。明日で年内の「先生業」終了です。あとは、今日までの土が乾いたら素焼きする為に学校に行きます。
 ロストワックスで3点程作品をつくるのと、信濃橋の「1日だけの〜」のをつくるのを土曜までにします。
 金曜は京都に行って、出来上がった位牌を確認しに行くし、日がないな〜。
 
 ほぼ日刊イトイ新聞は、いつも特に「ブイヨン」見たさにチェックしてますが、今日は特に興味深い内容でした。意外な事にバックナンバーで過去の「今日のダーリン」は見れないらしく、消えていくものらしいです。以下は引用です。

・「あのひと」が、とてもすばらしく見えたとしても、
 「あのひと」と人生をとりかえっこしたら、
 「あのひと」には、「あのひと」なりの
 たいへんさがあるんだと気づくだろう。
 
 矢野顕子さんの『Happiness』という歌は、
 そんなテーマで詩を書いたものです。
 (『Oui Oui』というアルバムに入っているので、
 興味のある方は、ぜひお買い求めください)
 じぶんの経験してきたことや、
 じぶんをとりまいている環境って、
 いいところについても、わるいところについても、
 それなりになれているものだから、
 いろんな対処の方法も知っているんですよね。
 
 急に、じぶんが別の人になれたとしても、
 その別の人の「なれている」部分を引き継げなければ、
 あわてたり、おろおろするばかりでしょう。
 そう考えると、じぶんって、
 なかなか時間をかけてつくられている「作品」です。
 好きじゃないところも、けっこうあるでしょうし、
 取り返しがつかないような欠点も、あるでしょうが、
 「じぶん以外には引き受けられない」ものかもしれない。
 
・とにかく、「このじぶん」とつきあうしかない。
 それはあきらめではなく、自己愛というのでもなく、
 他の選択肢なんか、ないからだ。
 気に入らないところがあるようだったら、
 修理したり、改良したり、削ったり増やしたり、
 変えていきながら、つきあっていくしかない。

 たぶん、もうこの年齢になったから言えるのだろうが、
 ここまで長いことつきあってきた「じぶん」は、
 誰にも渡せないし、誰のものでもないよ。
 今日も明日も、ぶかっこうな「作品」として、
 さらに取りかえられないものになっていく
 (実は、それは、赤ん坊だって同じことなんだよね)。
 
 たまたま『Happiness』を聴いて、思ったことでした。

 最近、過去の自分を「嘘の自分」と言う(書く)人がいました。「思い出したくない程嫌な自分」も自分やん!!と思いました。あたり前の事ですが、過去は変えれませんが「これから」は変えれます。

>>気に入らないところがあるようだったら、
 修理したり、改良したり、削ったり増やしたり、
 変えていきながら、つきあっていくしかない。

という所を読んで、安心しました。